****************"Onazi sora no sita"***********************
”約束しましょうね、私達、本当のお別れ、もう二度と会わない時だけ、さよならを使いましょう?
またね、って言ってくれたら、次の機会が楽しみになりますもの。
私、さよならは嫌いですから。
そんなこと言ったら・・・本当に会いませんからね?”
それは、遠い日の約束―。
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花舞う季節、空には橙色に染まる細い三日月が浮かんでいる。
今を盛りと花を咲かせた梅林が、美しく月光に照らされていた。
「ねえ。もし、私がこのまま家出すると言ったら・・・どうします?」
静かに言われた言葉。
振り返る顔を見つつ、ゆっくりと歩きながら答えを返す。
「まずは家出をお手伝いしましょう。ここじゃなく・・・もっと遠い遠い地へ。」
「それで?」
「お嬢様が世の中に慣れた後、私は貴女のお父上様の元へ戻ります。」
「報告するの?」
「いいえ。お嬢様は見つかりませんでしたと告げましょう。」
「そんなことをしたら・・・。」
「ええ、十中八九、お父上様は私の首を刎ねるでしょう。
しかし、それでいいのです。私が口を噤めば、お嬢様の自由は約束されたも同然です。」
さらりと言ってのける男に、女は苦笑する。
「それでは、やっぱり離れ離れなんですね。」
「すみません。」
「どうして冗談でも、逃げて一緒に暮らしましょう、くらい・・・言えないのですか?」
「嘘は吐かない主義なもので。」
「じゃあ、どうして冗談でも・・・首を刎ねられる、などと・・・自分から言うのです・・・?」
「明日をも知れぬ命の身ですから、執着は捨てませんと。・・それが戦というものです。」
淡々と、ただ優しく男は言った。
女は月明かりを眺めながら、やはり少しだけ寂しそうに笑っている。
「どうしても前線に?」
「それが・・・お父上様の命ですから。」
「そんなのはどうにでもなる事でしょう。あなたは、どうしたいの。」
「・・・・・あの方がそう望まれるなら、私は従うだけで。」
「私が行くなと言っても?」
「残念ながら。」
「私が死なないでと叫んでも?」
「・・・・・・。」
泣き出しそうな声に戸惑って、男は少しだけ足を止める。
女は、振り返って泣きそうな瞳でただ、男を見つめていた。
「お願いだから命を粗末にしないで。」
「そんなつもりは・・・・」
「無い?無いなら口に出さないものですよ。」
「すみません。」
男はただ謝るしか、術を知らなかった。
女はなおも続ける。
「・・あなたとは話をしてる気にならないわ・・・退屈な、人・・。」
「・・・すみません。」
悪口を言う女の声が震えているのを、男は知っていた。
何しろ人を憎む事も知らず育てられた箱入りのお嬢様である。
何かの書物で得た知識だろうが、彼女にとって人を罵る事がどんなに勇気がいるか、男は知っていた。
「あなたは私の為に命をかけようとか、お父様の為に命をかけようとか・・そればかり。
自分の事はどうなの?私、あなた自身のこと、何も知らない・・・。」
「どのような事をお知りになりたいと?」
「好きな事や・・食べ物。・・好きな人や・・・大切な人、親しい友人・・・とか・・・」
「そうですね、好きなことは日向で寝ることです。食べ物は・・しいて言うなら果実でしょうかね。
柑橘類などは幾ら食べても飽きないものですよ。」
少しだけ笑んで、男は語った。
日向で寝ている時見た夢や、果実を動物と取り合った話。
少しでも、楽しく思えるよう、言葉を尽くして。
「・・結局その果物は・・親栗鼠に譲ったのですが、これはなかなか悔しい経験でした。・・・お嬢様?」
くすくすくす。
楽しそうに笑う女は、それでも瞳から堪えきれぬ涙を流していた。
「お、お嬢様・・・・」
困って、迷って、ハンカチを探すも見つからず。
男は結局、自分の袖で、不器用に彼女の目元を拭う。
「もっと・・・・・はやく、に・・・・こんな、あなたを・・・・知りたかった・・・・・っ・・。」
「・・・・・すみません・・・・・。」
「あや、まらないで・・・下さい・・・・。」
しゃくりあげながら、それでも女は、懸命に微笑んで見せた。
目元を拭った男の手を、優しくつつむように握って。
「・・・・あたた、かい・・・・・。あなたにも、やっぱり・・・・・血が通ってたんですね・・・・・?」
「なんですか、その感想は・・・。」
その手に頬をすりよせ、微笑みながら・・それでも彼女は涙を流す。
月光の弱い光は、涙を綺麗に光らせることなく、流れ落ちた水は地へ吸われていった。
「・・例えば・・恐ろしい事を言いますけれど・・。
あなたの命が、今この瞬間失われてゆくとして・・・最後に、誰を想いますか・・・?」
「・・・・私を拾ってくださった父上様。こんな私を許して下さった・・お嬢様。・・・そして・・・友を。」
「お友達・・・・?」
「ええ。・・・常識も無く、奔放で、どう育ったのやら・・見ていて本当に、いつも心配になる男ですが・・・。
なんとはなしに、奴の笑顔を見ると・・・こちらまで、元気になれる。そんな男です・・」
「・・・あなたにそんな表情をさせる人は・・・貴重な、大切なお友達ですね・・・・」
ゆっくりと手を離しながら、彼女は穏やかに言った。
涙は止まったようだ。
瞳がまだ潤んでいるのは・・・しょうがあるまい。
「これだけ、覚えていてください。」
「?」
決意をしたように、彼女が告げる。
最後の言葉を。
「どんなに離れても。たとえもう再会しなくとも。私は・・・この月が出る時は、貴方を思いましょう。
だからどうか・・・ルーク。
どんなに離れても・・同じ空、同じ空気のもとで、私達は生活しているのだということを。
どうか、忘れないで下さい・・。」
それは、ずっとずっと、彼女が考え続けて出した結論だった。
別れを告げられた日から、ずっと。
最後の、この日の為に、悩みぬいた言葉。
「・・・はい。・・すみません。」
悩みぬいたとわかるから、男―ルークはやはり、ただ謝るしか出来なかった。
「夜空の下、月を見るときは・・・お嬢様が・・私に言葉を尽くしてくださった事を、思い出しましょう。」
ただ、それしか言えなかった。
「送ってくれなくて結構よ。ここで別れましょう・・?
この、綺麗な場所で。」
「・・・・・・・・はい。」
「・・・・さようなら。今度こそ・・・本当に。今まで・・・・ありがとう・・・・・。」
「心からの・・・お詫びと・・・感謝を・・。
俺に感情を、取り戻してくれたのは・・・あなたでした・・・・。
・・・さようなら・・・・プラム様。」
最後に、名前を呼んだ。
今まで一度として読んだ事の無い彼女の名を。
背を向けて歩く彼女の髪が風に靡く。
たとえ背を向けた彼女が泣いていたとしても、ルークにはもはや、彼女の涙を拭く事は許されなかった。
+了+